隔週日曜版の某新聞連載原稿で、ショウガとミョウガについて書く。ショウガとミョウガが日本にいっぱいあると、『魏志』倭人伝に見える。ところが「日本人はこれらの滋味を知らない」とあって、当時の日本人、たとえば卑弥呼などは、ショウガやミョウガを食べてはいなかったのだ!
我が国でショウガとミョウガを栽培するようになったのは、平安時代になってから。『延喜式』にそのことが書いてある。
新聞の原稿を書いた後、今日は、『語感辞典』の濁音「ぎ」から「ぞ」までを終わらせる。
以前通っていた理髪店主が「ずずなり」という言葉を使っていたことを「ず」の項目で書いた。ナス、キュウリ、サクランボ、たくさんなると、彼は「ずずなり」と言った。ぼくは、それが気持ち悪くてたまらなかった。「鈴生り」「鈴成り」は「神楽鈴」のように房となってたくさん群がっていることをいう。この「すず」の「す」に濁点をつけて「ずず」なんていう言葉を作ることに「ゾッ」としたものを感じたのだった。その理髪店に行かなくなった理由は他にもちろんあったけれど、「ずずなり」の不快感があったことも否めない。
岩下哲典著『病とむきあう江戸時代』(2017年北樹出版)が届く。第1章には江戸時代の蘭学の発展と海外事情との関係が記される。そして、津山出身の箕作阮甫(1799〜1863)の医学への貢献、長崎で魯西亜応接掛・川路聖謨と一緒にやったことなどが触れられる。なかでもっとも興味深かったのが、シーボルト事件で捕らえられた書物奉行兼天文方高橋景保が、ロシア人、ムールの「模烏児(ムール)獄中上表」をオランダで出版し、ゴロヴニンがロシアで出版した『日本幽囚記』の誤った日本の情報を正しく伝えようとしていたということ。さらに、大黒屋光太夫の聞き書き『北槎聞略』を纏めた幕府医官・桂川甫周は、オランダ・アカデミーの会員に推挙されていたということ。
カテゴリー